炎の蜃気楼32巻 耀変黙示録Ⅲ 八咫の章 感想
やっと読み終わった…(´ω`)
そろそろどこに誰がいるか分かる地図が欲しいところです。あと、用語集とかも。
この巻で心打たれたのはここ。
p10
「終わったものが終わりを受け入れられないのは、不幸なことや」
「生と死と、両方をおんなし距離に置いて眺めてみて、初めてわかることもある」
テルさんのお言葉。ミラージュで初めて死について語られたような気がします。怨霊は生を求めて現世に留まっている。高耶はそんな精神的生存者の存在を認めて大転換を成した。
でも、生と死は表裏一体だと思うんですよ。良く言われる人間の命は終わりがあるから美しいということ。私は限りがあるから、誰にでも平等に死が訪れるから人間として生きていくことができると思います。
闇戦国は怨みが強い方が強い力を持つという関係なので、ミラージュには現世に未練を持たず死を終わりとして受け入れる者があまり出てきません。鬼八が良い例ですが、太古の怨霊などはものすごい怨みを積もらせて存在し、強大な力となっていました。しかし、炎の蜃気楼というシリーズを覆っている空気の様なもの?それは決して幸せなものではないと思うんですね。どちらと言うと、敗北し打ちのめされ、もがきながら上を目指し続けるような苦しいものだと感じます。その悲しさや力強さにミラージュの真髄があると思うんですが。
弱者は生に執着するほどの力がないと言う論調で語られたことがありましたが(おそらく兵頭が)果たしてそれは本当なのでしょうか。憎しみや怨みが生み出すのは憎しみだけで、負の連鎖を生み出します。私は現世を幸せに生きて、成仏したものが一番の勝者なのではないかと思うのです。
だから、死という道が必ずあることを示されてはっとしました。生を受けたものは、死を見つめなければならないと言われたような気がして。
最近読んでてふと思ったのですが、高耶さんって寿命を宣告されたようなものなんですね(;o;)
本当に大転換の意図がわからなくて、今も本当に正しい選択だったのか疑問に思います。けれども、死期が迫る中での選択と考えるとなんだか納得いくような気がします。限られた時間の中で自分が成すべきこと、戦うべきもののためにもがきながら進んでいる。
安息を得ないのは宿命なのか、性分なのか…
正直、あまり安らかな時ってミラージュにないですよね。苦しい展開が続いているけど、それは現状に甘んじないで高みを目指しているからで…
更に考えてみると、直江と高耶の関係ってやっぱり行き着くところが勝者と敗者の関係だと思います。巻数を経て直江がこだわっていたものとは形が変わったと思いますが、直高ってお互いを愛するために戦わなければならないという関係にあると思うんです。愛するために超えなければならない相手がいるというか…戦いには必ず勝ち負けがあるから、勝者と敗者が生まれます。敗者は往々にして直江の方だと思うんですが、この巻で高耶さんが言っていたように負けることで強くなる。私が一番好きな直江の名台詞「敗北しても押しつぶされても、あなたが私のたったひとつの生命だから」に象徴されています。
いやー本当にすごいカップルですね。
本編に関係ないことばかりですが、32巻の感想は「カオル様ってまさか!」でした。
謎が謎を呼び、次巻へ。